家庭環境って大事かも

なんか、最近の凶悪事件とか見てると
犯人の育った環境が影響していそうな事件が少なくない感じ。
生まれついての性格っていうのはあるんだろうけど、
育つ環境、とりわけ家庭環境って人格形成において重要な気がする。

特に『親』だよね。
親がハズレだと、子供はダメ人間に育ちそう。
正しく愛情注がれてないと歪んだ性格になりそうだし。

戦争でも、ケンカでも、犯罪でも、
結局は、誰かの正義を貫いた結果なんだと思う。
大多数から見れば間違ったことでも、
当の本人は正義だと思ってれば、躊躇なくやるだろうし。
津久井やまゆり園の植松被告なんかは、その典型なんだと思うし、
京アニ事件の青葉容疑者にしても同類だと思う。

僕が個人的に一番怖いと思うのは、
自分の正義を他人に押し付けてくる人。
このタイプが一番危険だと思うんだ。
一人でやってれば別にいいんだけど、
他人を巻き込むのは勘弁して欲しいよね。

世の中には大きく分けて2つのタイプの人がいて、
1人でも好きなことをやっていればハッピーなタイプと、
好きなことを他人も一緒にやらないと収まりがつかないタイプ。
ガキ大将的に「俺様の好きなことなんだから、
お前たちも一緒にやれ!」っていうタイプは苦手だわ。

まあ、性格なんてそうそう変わらないんだから、
「コイツ、ヤバそうだな」って感じたら
関わらないのが一番無難なんだろうね。

障害者に対する無理解

10年近く使っていたBDレコーダーが寿命を迎えたみたい。
録画した画像がブロックノイズ状に激しく乱れるようになった。
幸いまだ完全に壊れたわけではないので、
お気に入りのアニメをBD-Rに保存したりしてんだけど、
以前録画しておいた京アニの作品『聲の形』を見つけたんで、
再視聴したら・・・なんか大粒の涙がとめどなく流れて落ちた。
ちなみに『聲の形』は聴覚に障害を持った女の子を描いた作品で
小学生の頃に同級生からイジメを受ける様子が描かれている。

差別とかイジメって『異なる者に対する無理解』が原因なんだよね。
4年ほど海外で暮らしていた時も感じていたんだけど、
基本的に人間って異なるものが苦手なんだと思う。

一昨年、僕は脳の病気を患って倒れ、
後遺症として右半身に軽度の麻痺が残った。
幸い、普段の生活に大きな支障はないし、障害者手帳も持っていない。
それでも、いろいろな面で生活が大きく変わったよ。

別に、他人に自分の痛みを知ってもらいたいとは思わないし、
同情して欲しいとも思わないのね。
だけど、階段の昇り降りの際に「手すりに摑まりたい」とか、
「歩くスピードが遅い」ってことを周りに認知してもらいたいから、
出掛ける時はリュックに『ヘルプマーク』を付けている。
だからと言って、特別扱いして欲しいんじゃないんだ。
後ろから追突したり、突き飛ばさないで欲しいだけなんだ。
「分からないことを理解して欲しい」とは思わないけど、
「ほんの少しだけ想像してみて欲しい」とは思う・・・かな。

年を重ねて成長と共に人は相手を思いやる心が育まれる。
大人になると、子供の頃にやったことが無性に恥ずかしかったり、
情けなかったり感じることがある。
子供って大人と違って純粋で素直な分、
時として「凄く残酷になれちゃうのかな?」って
『聲の形』を見ていて思ったよ。

偉そうに、こんなことを書いているけど、
もし僕自身が障害者になっていなかったら、
今でも僕は「障害者に対して無理解だったんだろうな」って思うよw

やっぱ元旦休業は不便だわ

あけましておめでとうございます。

新年早々、いつものように言いたい放題なんだけど、
やっぱ元旦休業は不便だわw

こういう話をすると顔を真っ赤にして
「元旦1日ぐらい我慢しろ!」
とか感情的になって怒る人がいるんだけど、
ただ単に「不便か?」「不便じゃないか?」って話なんだ。
僕は「買い物ができなくて不便だね」って言ってるだけで、
「休むなんてとんでもない」と不満を言ってる訳じゃないんだ。
きっと僕たち都市部に住む現代人は、
便利な生活に慣れ過ぎているんだろうね。
『年中無休』だとか『24時間営業』が当たり前過ぎて。

「じゃあ、何をどのくらい昔のようにすればいいんだろう?」
「どんな働き方が人間らしい働き方なんだろう?」
「そもそも“人間らしい働き方”の『人間』って、誰基準?」

もっともらしい事を話す時に感じる素朴な疑問。
高校生の時とかに感じたりしなかった?
「高校生らしくしなさい!」の“高校生らしさ”って、
「誰の主観で、その定義が決まるんだろう?」とか。
結局「○○らしさ」なんて定義が曖昧で
「○○はこうあるべき」なんて人それぞれ違うと思うんだけど・・・

「何かも横並びに同じにしなくちゃいけない」と思うから、
逆に窮屈になっちゃって歪みが生まれちゃうのかも?
いっそ「自由にしちゃえばいいんじゃね?」とか思ったり。
「元旦と言っても特にすること無いから働きたい」
と考える人たちだっていると思うんだよね。
だから店の裁量で自由に決めれば良さげな?
でもそれだと強制的に働かされる人が発生するから
半ば強制的に休ませちゃうんだろうけど、なんか難しいね。

そもそも「元旦なんだから休むべき」なんて言い出したら、
コンビニやスーパー、外食店の店員だけでなく、
テレビだって、公共の交通機関だって、病院だって、
ありとあらゆる分野の全ての労働者が一斉に休まなくっちゃ、
本当の意味での『平等』ではなくなっちゃいそうな?
こうしている間も人知れず働いている人は少なくないよ。
別にコンビニや外食の労働者だけが
24時間365日働いている訳ではないんだと思うけど・・・

「公共性が違うだろ!」ってのは理解できるのよw
でも、大きさは違えど公共性はゼロじゃないような・・・

僕の考えが時代に逆行しているのかもしれないけど、
便利を望むのはごくごく自然で当たり前だと思うんだ。
だから、「時代を巻き戻そう」という考え方は
正直、素直に受け入れられないんだよな~
不便を我慢できない訳ではないんだけど、
便利を追求することは別に悪いことではないと思うんだ。

契約解除のセブンイレブン閉店に思ふ

「ま、当然じゃね」って思うわ、閉店は。
「セブンイレブンの看板で商売をしたいけど、
セブンイレブンとの契約は守りたくない」ってのは自分勝手だと思う。

セブンイレブンの『ブランド』は本部が確立したものだよ。
そのブランドの名前で出店できて、
そのブランドの商品を仕入れられて、
そのブランドの商品を販売できるからこそ信頼されて、
特別な苦労もせずに、ある程度の集客が見込めるってことでしょ?
これって、ある意味「守られている」ってことじゃないかな?
なら契約は遵守すべきだと思うよ。

別に、セブンイレブンの本部の人たちに羽交い絞めにされて、
無理矢理に契約書にサインさせられた訳じゃないんでしょ?
契約書を読み、内容を理解し、自らの意思で契約したんだよね?
契約する時は「セブンイレブンをやりやい」って思ったんだよね?
ペコペコ頭下げて「お願いします」と契約しておきながら、
イザやってみたら思ったようにいかないからって、
本部の了承を得ずに一方的に契約を破るようなら、
最初から契約しちゃいけなかったんだと思うよ。
そりゃ、確かに契約を守れない時とかあると思うよ。
でもそれって一時的な非常事態の時だけでしょ?

この手の話を聞くと契約社員とか派遣社員のような、
いわゆる『非正規雇用』の話を思い浮かべるよ。
最初は収入欲しさに多少理不尽でも契約するのよね。
やっぱ「背に腹は代えられない」からねw
で、仕事にも慣れて人並みに仕事をこなせるようになってくると、
待遇の格差に違和感を覚え、我慢できなくなってくるのよw

「正社員と同じことをやっているのに」

でもさ、「なら正社員と同じように責任が取れるのか?」って話。
そりゃ確かに同じ仕事をやらされると思う。
でも立場や責任は違うんだよね。
正規に入社試験とか面接とかを受けて正社員として入社した人と、
中途で非正規で採用された人とじゃ立場も責任も違う。
それが嫌なら、最初から正社員として雇用されるべきなんだと思う。

やっぱ途中で文句を言うのは良くないと思うよ。
それでも、どうしても我慢できなければ、
決められた違約金をちゃんと支払い、
サインした契約書に従って辞めるしかないと思う。

結局、楽して稼げる商売なんて無いんだよ。
他人の下で働くのなら多少の理不尽は我慢しないといけないんだよ。
それが嫌なら自分自身のチカラで商売するしか無いんだと思うよ。

昨今の『除夜の鐘 騒音問題』に思ふ

近年、除夜の鐘を取り止める寺院が増えているらしい。
お寺の檀家の減少による人手不足とかもあるらしいけど、
最大の理由は『騒音に対する苦情』なんだろうね。

似たような問題に保育園の騒音問題がある。
騒音ってことだから“音のうるささ”が問題だと思うんだけど、
いずれも感情論で語られる場合が少なくないと思うんだ。

よくある意見が「○○なんだから我慢しろ!」という主張。
例えば、除夜の鐘の場合なら「季節の風物詩なんだから」だとか、
「伝統なんだから」といった主張がそれにあたると思う。
保育園の場合なら、「少子化なんだから」とか
「保育園不足なんだから」といった主張がそれにあたる。
でもさ、いずれも騒音の被害に遭ってない人たちの意見であって、
実際に被害に遭っている当事者にしたら、
単純に「静かにして欲しい」んだと思うんだよね。

実際の話、除夜の鐘も保育園も大きな音を出しているんだから、
「うるさいか?」「うるさくないか?」で言ったら、
「うるさい」んだと思う。
誰だって、うるさいのは嫌だから、
うるさい物に「うるさい!」「音を出すな!」というのは、
ある意味、当然の話なんだと思うんだけど・・・

除夜の鐘にしても、はしゃぎ回る子供の声にしても、
窓を閉めれば聞こえなくなる程度に離れた距離なら、
大した問題にはなっていないんだと思う。
でも近所にしてみれば、やっぱ無い方がいい騒音なんだと思う。

結局、騒音に悩まされている当事者と
騒音を出している当事者同士が話し合ったり、
裁判などで争って決めるべき話であって、
騒音の被害に遭ってもいない他人が
とやかく言う問題ではないんだと思う。

正直、宗教に全く興味のない僕にしたら、
除夜の鐘どころか、初詣すら全く興味が無いよw
普段お参りもしなければ、寺にすら足を運ばないのに、
年に一度、お正月だけお参りをすれば1年安泰だなんて、
「どこのご都合主義なんだよ?」って感じるよw

普段「伝統」なんてものを気にかけていない輩が、
こういう時だけ顔真っ赤にして「伝統なんだから我慢しろ!」とか、
なんか「違うんじゃね?」って思うわw

それと「後から引っ越してきた理論」にしても、
「何年我慢しろ?」って話だと思っちゃう。
いずれにしても当事者同士が決めればいい事なんだから、
被害と無縁の赤の他人が「我慢しろ!」なんて
横から口出しする事じゃないと思うわ。

ネットでの出会いの危険性

新潟で起きた『ネトゲ交際殺人事件』からも分かるように、
ネット上での出会いって危険なケースが少なくない・・・ような?

ま、新潟の事件の場合、犯人の男は元ホストで、
殺された女の方は現役のホステスという、
言ってみれば“社会のゴミ”のような存在だったから、
殺人事件という最悪のケースになったんだろうと思うけど、
やっぱネットでの出会いには“それなりのリスク”が
潜んでいると考えておくのが無難だと思うんだよね。

でもさあ、ネットでの出会いには、普段の生活の中では
出会えない人たちとの出会いがあるのも事実だと思う。
特にネットの場合、年齢も性別も身分も隠せるので、
自分がどこの誰だか知られるリスクもない(少ない)から、
自分を包み隠さず相手と接することができるのがイイと思うんだ。
このブログにしたって、僕がどこの誰だか分からないからこそ、
自分の思っている本音を書けるので、こうして書いてる訳だし(笑)

逆に、相手がどこの誰だかサッパリ分からない事が
ネットでの出会いの最大のリスクでもあると思うんだ。
「何を目的に近付いてきたのか?」とか
「本当は何を考えているのか?」なんて、
ちょっと言葉を交わしただけでは分かる事じゃないからね。
特に、ネットで出会いを求めている人って、
“優しさ”みたいなものに飢えてる人たちが少なくないから、
ちょっと優しくされると、コロッと騙されちゃいそうな?

こんなこと言うのも何だけど、
何の得もしないのに他人に優しくするヤツなんていないんだよ。
優しくしてくれるヤツとか近付いてくるヤツには、
大抵、下心があると思って間違いないと思うんだ。
そもそもだよ、「なんで、そんな優しいヤツが暇を持て余して
ネトゲやらSNSで時間を潰しているのか?」って話だと思う。

ネットに逃げても、やっぱ現実社会の延長線上なんだと思う。
むしろ、リアルさが曖昧な分、危険なんだとも思うし。
説教臭くなるけど、リアルから逃げたところで
何が変わる訳じゃないので、リアルで何とかしなくちゃ、
人生なんて変わるもんじゃないんだと思うんだよね。

「監禁状態ではなかった」に感じる違和感

何だろう?
『小6誘拐事件』で保護された女子中学生の
「監禁状態ではなかった」という言葉に違和感と言うか、
疑問みたいなものを感じるんだけど・・・

別に、犯人を擁護する訳ではないんだけど、
この事件の裏には誘拐された女の子の家庭環境が関係してるのかも?
もちろん、家庭環境に関係なく、誘拐は犯罪だと思ってるし、
未成年をかくまうことが正義だとも主張する気もない。
ましてや、見つからずにズ~っと犯人の男と
同居していれば良かったとも思わないんだけど、
女の子たちが親元に戻されたことで本当に全てが解決したのか?
なんか、後味の悪い幕引きなったような気がしてるんだけど・・・

女の子が無事に保護されたことは素直に良かったと思うよ。
でも、「真相が知りたい」って言うのかな?
女の子たちの家出につながった原因と言うか、理由が知りたい。
と言うか、それを解決しないと本当の解決ではないような気もするし。
ま、それは家庭内の問題だから報道すべき内容じゃないと思うし、
他人が介入すべき事案でもないと思うから、現時点では、
とりあえず素直に女の子の無事だけを喜ぶことにするよ。

それにしても「生きる」って、いろいろ難しいよね(笑)

SNSに何を求めるか?

『小6誘拐事件』やら『座間大量殺人事件』とかで
SNSでの出会いに対し過剰に反応しているけど、
そもそもSNSでの出会いなんて出会いの形の一つであって、
生きていれば学校や職場でも出会いはある訳で、
そんなに過剰に反応する必要は無いような気がする。

とは言え、人と交流するのは何らかのリスクを伴うもの。
ま、『リスク』なんて大袈裟なものではないかもしれないけど、
人と交われば何らかの影響は受けるかもしれないから、
用心をしておくに越したことはないとは思う。

SNS利用者には大きく分けて2つのタイプがあるのかも?
1つは、ただ単に自分の意見を発信したり、
他人の意見とか情報を知りたいだけのタイプ。
特に深い交流を求めている訳でもなく、
軽く言葉を発したり、交わせれば満足できるタイプ。
ま、多くの利用者は、この手のタイプだと思う。
厄介なのは、もう1つのタイプ。
そう!『SNSに出会いを求めているタイプ』だ。
単なる社会的な軽い交流ではなく、
深く付き合える相手を探しているタイプだ。
多くのケース、これがヤバい奴だと思うのよね。

全てが当てはまる訳ではないと思うけど、
ネット上で出会いを求めているヤツは
大なり小なり違いはあれど、基本的に危険だと思う。
リアル(実社会)で出会いが無いっていう時点で
人間性や性格に何らかの問題を抱えている可能性が・・・。
まあ、趣味とか深く語れる人が身近にいない事も少なくないから
一概には言えないけど、単なる出会いを求めるヤツは危険だと思う。
かと言って、ネットでの出会いを全て否定するつもりはないんだけど。

むしろ、良い出会いをして幸せに暮らしている人も大勢いると思う。
事件になるのは極めてレアなケースであって、
多くの場合は問題が起こっていないと信じたいんだけど、
実際にSNSとか掲示板を利用してると、
信じられないほど些細な事でトラブルが発生しているんだよね(笑)
だから思うんだ。
形はどうであれ、人と接する事は何らかのリスクを伴っている」と。
特に、年頃のお子さんを持つ親御さんには気を付けて欲しいと思う。
過保護は良くないのかもしれないけど、
子供は世間知らずだから、守ってあげて欲しいと思うよ。

SNS自体はとても良いサービスだと思うから、
問題は「そこに集まってる人たちが何を求めているか?」だと思う。

自分を貫くか?曲げるか?

作業しながら、いつもアニソンを聴いている。
僕が好きなアニソンユニットはいっぱいあるんだけど、
その中にMYTH & ROIDというユニットがあって、
独特な曲調と日本語と英語の混ざった歌詞で、
とても個性的な世界観を作り上げているユニットなんだ。
特に気に入ってるのが女性ボーカル。
MYTH & ROID』の世界観は、その女性ボーカルが作り出している
と言っても過言ではないほどの存在感があるんだ。

MYTH & ROID』の ボーカルを担当しているのが、
2代目ボーカルの『KIHOWさん』なのね。
で、2代目って知った時に「変わったんだ?」って気付いて、
ちょっと調べてみたら、初期は『Mayuさん』が担当していて、
2017年11月6日に「卒業」という形で辞めていて、
2019年、今年の4月に前島麻由名義でソロデビューしたんだ。

「ソロでどんな曲を歌ってるんだろう?」と気になったので
YouTubeで聴いてみたら、すごく透明感のあるイイ感じの曲で、
英語の歌詞も上手に歌いこなしている感じなのね。
ここまではイイ感じなんだけど、1つ気になったんだ。
それは視聴回数。
デビュー曲の『YELLOW』ですら僅か5千ビュー程度。
他の曲なんて数百程度の視聴回数しかない。
それで思たんだ。「自分のやりたい音楽では売れないんだ」と。

歌も英語も上手。曲だって悪くない。でも売れない。
MYTH & ROID』でボーカルをやってた時は
数千万の視聴回数だったのに、ソロになった途端、コレ。
なんで『MYTH & ROID』を辞めたのかは知らないよ。
でも、その才能は『MYTH & ROID』というユニットだから
上手に活かされてただけで、ソロでは売れない現実。

結局、ボーカルも楽器の1つなんだと思う。
例え自分のやりたい音楽をやれたとしても、
結局、お客さんに聴いてもらえなければビジネスにならない。
これが「自分を貫いた結果」だとしたら、
不本意だとしても音楽プロデューサーに従って、
“アンドロイド”として楽器を演じていた方が良かったのかも?

他人の声を断って、自分らしく生きる

フォローしてなくても、フォローしている人のリツイートやナイスで
見なくていい人のツイートが見えてしまうことがある。
人間とは不思議な生き物で、
見えてしまうと気になってしまうことがある。
本当に奇妙なものだ(笑)

つい先日、見なくていい人のツイートを見て知ってしまったが、
「ツイートを削除する!」だの騒いでいるご様子。
多くの人に認知してもらうために騒ぐのは理解できるが、
節度の無い騒ぎ方は品性を疑われても仕方がないと思う。
認知度が上がるにつれて、アンチが増えるのがネットの常だから、
フォロワーの増加に伴って、言動にも注意を払う必要がある。
ま、別にネットに限った話ではないのだろうけど、
人気者を演じるのは凄く大変そう(笑)

僕は今後、ツイッター等のSNSの使用を極力控えようと思う。
世の中には「見なくていい事」や「知らなくていい事」が少なくない。
多くの情報がリアルタイムで飛び交うツイッターは
情報源としても情報発信源としても非常に有用だが、
気になることがあると多くの時間を無駄に奪われることがある。
その時は我を忘れて夢中になってしまうような事でも、
後になると「大した事ではなかった」って思うことが少なくない。

ちょっと極端かもしれないけど、口論でも喧嘩でも殺人事件でも、
発端は「どうでもいいこと」だったりするんだよね。
最近流行りの「あおり事件」にしても、
「○○に腹が立った」程度のことで人はキチガイになれるし(笑)
凄く無駄なことに意地を張ったり感情的になって、
しなくて良いことをしてしまうことがある。
「それはナゼか?」
それは無駄に他人と接触してしまうから。
ブログを書いている僕がこんな事を言うのは変だけど、
承認欲求や自己顕示欲は、度を超えるとロクなことがない。
多くの人に見てもらうために危険なことに挑んで、
命を落とす人も珍しくないんだよね。
人間って愚かな生き物で、
他人から認められないと死ぬ病気なのかもしれない(笑)

聞いた話だと、頭の悪い人ほど群れたがるらしい。
人は群れることで安心し、思考が停止するらしい。
人とツルんで同じことをやる事で、
「みんなと同じだから、俺は間違ってない」と思うらしい。
だからって訳じゃないけど、
他人と接触するのは極力控えようと思い始めた。
という訳で、ツイッターから距離を置こうと。

今日の結論。
SNSの利用頻度やブログの更新頻度の低下は、
「自分らしく生きている」ことの証かもしれない。
今日そう感じたから、今日その気持ちを綴っている。
いつかブログを読み返した時、
「あの頃はそんなことを考えていたんだな」って思い返す。
言わば、自分の記録帳。
書きたい事が少ない時は、ストレスも少ない時なんだと。
人恋しくならないのは、自分を保てている証かと(笑)