競馬は馬の競走ですが、単なる『お馬さんのかけっこ』ではありません。
馬を生産しているのも、馬を育成しているのも、
馬を所有しているのも、馬を管理しているのも、
そしてレースで馬に乗っているのも、全ては人間なのです。
走っているのは馬ですが、その馬は人間のコントロール下にあります。
仮に、正確に馬の能力を数値化できるとしても、
その馬をコントロールする人間の影響を考慮できなければ、
予想のツールとしては不十分ではないでしょうか?

こんな言い方をしたら、お叱りを受けるかもしれませんが、
私は「スピード指数は欠陥品」だと考えています。
欠陥品だからこそ考案者は、馬券で儲けるのではなく、
“予想法を売って”儲ける道を選択したのではないかと。
つまり「馬券本作家の方が馬券師より儲かる」と判断したのかもと。
もちろん、あくまでこれは私の憶測でしかありません。
しかし世間広しとはいえ、金の卵を売る人はいても、
金の卵を産む鶏を売ってしまう人はいないと思うのです。

話を戻しますが、走破時計や上がりのタイムを数値化しても、
その数値のとおりレース当日に走れる保証はありません。
当日の馬の調子や馬場コンディション、枠順、展開、
ひょっとしたら騎手の体調だって影響するかもしれません。
そう言った不確定要素をどのように判断するのでしょう?
過去のレースを数値化する場合にしても同様です。
レース当日の馬の体調や馬場コンディションだけではありません。
出遅れや展開、不利の有無、騎手の腕や判断などなど、
数値化できない(しにくい)要素は無数に存在します。
はたしてタイムの指数化に意味があるのでしょうか?

当然、そんなことは誰もが気が付いていて、
独自に改良したオリジナル指数なるものも数多く存在するわけですが、
一般的に指数の多くは馬の能力を数値化したものであり、
能力の高い馬にプロ予想家たちが印を打つので、
当然、能力が高いと思われる順番に人気も形成されるわけで、
能力指数であろうと人気指数であろうと、
結局は殆ど同じような馬を評価することになるのかと。
だとすると、わざわざ能力を指数化しなくても、
単純に「人気順に能力が高い」と考えても、
あまり変わらないことになるのかもしれません。
「なら意味なくねえ?」って話になるのかと。

結局、誰かが教えてくれた予想法や、その何番煎じの予想法、
誰もが想像できるような予想法を使っても勝てないという話です。