まずは『理論』という言葉の意味から考えてみたいと思います。
その前に1つ、お恥ずかしい話で大変恐縮なのですが、
今の今まで『理論』と『論理』を混同して、同じように使っていました。
と言うより、『理論=ロジック』と考えていました。
理論の正しい英訳は『theory(セオリー)』であり、
『logic(ロジック)』の正しい和訳は『論理(ろんり)』です。
どちらも意味的に似ており、同じように使われているので、
競馬の予想をする上で特に大きな問題となるわけではありませんが、
予想法の基礎となる考えですので『理論(セオリー)』が正しいと思います。
でもまあ、予想を考えていく上での道筋と考えるのなら、
『論理(ロジック)』でも必ずしも間違えではないのかもしれません。
その『理論』という言葉の意味ですが、ウィキペディアによると、
“対象となる事象の原因と結果の関係を説明する一般的な論述”であり、
コトバンクによると、“個々の現象を法則的、統一的に説明できるように
筋道を立てて組み立てられた知識の体系”とあります。
要するに、事象を説明するための法則性のある考えという事なのですが、
競馬には一貫性や法則性と言ったものは一切無く、
同じ馬同士でも走るたびに結果が変わってしまうような、
確実性の全く無い、馬の競走結果を当てるようなものですので、
そもそも理論なんてもので説明できるわけもないのだと思います。
となると大切なのは、数字に裏打ちされたデータなのではないでしょうか?
競馬予想を考える上で最も大切な数字は『結果』、
つまり、予想成績でしか予想法の理論の正当性は証明できないと考えています。
どんなに立派で、どんなに正しそうに聞こえる理論だとしても、
予想成績が伴わなければ、単なる空論でしかないのだと思います。
実際、競馬には結果の伴わない、空論ベースの予想法が多いと感じています。
多くの競馬評論家が用いている正統法では勝てないなんてことは、
今さら私がここで改めて説明するまでもないと思います。
かと言って、「正統法で勝てないなんて八百長だ!」と騒ぎ立てて、
主催者や競馬関係者による陰謀論を信じても勝てるわけでもないと思います。
サインや出目といった昭和時代に流行ったオカルト理論の類は、
ゲームや遊びとしては非常に面白く、私自身も嫌いではないのですが、
「実際に勝てるか?」と言ったら、私は絶対に勝てないと思います。
詳しく知りたい方は、以前書いた『オカルト予想法について』をご参照ください。
もし競馬予想において正しい理論があるとしたら、
それは“正しいデータ検証法”ではないでしょうか?
過去のレースを検証してデータを収集すると言っても、
どのようなデータを収集すべきなのか分からなければ、
膨大な時間を無駄なデータの収集に費やしてしまいます。
勝てる人は勝つために必要なデータの見極めができていて、
勝てない人は勝つためのに必要なデータが何なのか分からないのだと思います。
そもそも勝てない人の多くは過去のレースの検証なんてしないでしょうし。
コメント